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古書を温ねて新きを知る
by sumus2018
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三月書房のカレンダー

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来年のカレンダーはもう用意されただろうか? つい最近、馴染みの古本屋さんから「こんなのご存じでしたか?」と示されたのが、三月書房の名前が入ったカレンダー三種類であった。「これは知りませんでした、もちろん、いただきます!」と入手したのは言うまでもない。

1966(エミリオ・グレコ)、1967(後藤清吉郎の和紙工芸)、1968(ダ・ヴィンチ)の三種類。美術出版デザインセンターの制作。タテ30cm、ヨコ21cm。もちろん各地の書店でそれぞれ名入りで配られたものであろうかと思う。一年が終われば捨てられてしまうためか、意外と見かけない。

1968年は元日が月曜日なので来年と同じだな、使ってみましょうか。


# by sumus2018 | 2023-12-08 17:42 | 古書日録 | Comments(0)

『樹林』318号

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うどん県へ帰郷していたときに昔の雑誌を少しばかり掘り出して持ち帰った。そのなかに大阪文学学校の雑誌『樹林』318号(7・8月号、葦書房、1991年7月15日)というのがあった。帰宅して目次を開いて驚いた。桑島玄ニの名前が巻頭に出ているではないか。桑島についてはこれまで何度か書いてきたが、郷里の大先輩である。

桑島玄ニ

特集は戦争「大きな戦争ありました。小さな戦争ありました。」、湾岸戦争が一月に勃発していたことを受けての特集である。桑島氏はエッセイ「なにゆえの匍匐」を寄せている。戦時中大阪にいた叔母の話から「未復員」という言葉について語り(未復員とは未帰還兵のことではなく戦争体験が頭から離れない精神障害のこと)、石原吉郎の「土地」という詩の引用で締めくくるというもの。

小生は「どこにもない国の戦争論」と題してトマス・モア『ユートピア』からはじまって老子にいたるまで戦争に対する見解を拾い上げて紹介しただけのエッセイである。この時代(すなわち小生三十六歳でした)こんな本を読んでいたんだなと、われながら呆れてしまう内容であった。

とはいえ、大先輩と目次に名前を並べられて幸運だった(当時は何とも思っていなかったようですが)。桑島はこの翌年、一九九二年五月三一日肝不全のため逝去している。六十八であった。現在の小生と同い年か・・・

# by sumus2018 | 2023-12-07 16:43 | 林哲夫の仕事 | Comments(0)

喫茶店文学傑作選・再版

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少し前に『喫茶店文学傑作選』の再版が届きました。再版には縁がなかったので(そうそう編集工房ノア版『喫茶店の時代』は再版しましたが)嬉しい限りです。これでパート2への道も拓けるかもしれません。

再版本では解説に一箇所だけ追記を加えました。さて、どこでしょう。

# by sumus2018 | 2023-12-06 16:40 | 林哲夫の仕事 | Comments(0)

昆虫記1

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街の草で見つけた大杉栄訳『昆虫記1』(叢文閣、昭和十二年十二月二十日三版)。初版は大正十一年十月十一日発行。巻末に四巻までの予告が出ているが、第二巻からは椎名其二訳である。

パリに死す 評伝・椎名其二

大杉は『昆虫記』を大正十年末から入った中野の豊多摩監獄で読み耽った。

《僕は今漸く此の一巻を翻訳し終つた。第二巻は本年中[一九二二]に終りたい予定でゐる。そして続いて猶第三巻第四巻と進んで行くつもりだ。》(訳者の序)

しかしそれは実現できなかった。

《関東大震災から僅か2週間後の1923年(大正12年)9月16日、自宅近くから妻の伊藤野枝、甥で6歳の橘宗一と共に憲兵隊特高課に連行され、憲兵隊司令部で憲兵大尉(分隊長)の甘粕正彦らによって殺害され、遺体が井戸に遺棄された(甘粕事件)。38歳没。》(ウィキペディア「大杉栄」)

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# by sumus2018 | 2023-12-05 16:45 | 古書日録 | Comments(0)

青柳瑞穂と骨董

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神奈川近代文学館で開催された「没後30年 井伏鱒二展 アチラコチラデブンガクカタル」の図録(県立神奈川近代文学館、二〇二三年九月三〇年)を頂戴した。感謝いたします。

《本展では作品世界に加えて、井伏が愛したものーー旅、釣り、将棋、書画、焼物などの世界にも注目します。》(ちらし)

という通り、ふくやま文学館で見た愛用の品々も展示されたようである。なかではやはり「青柳瑞穂と骨董」のページに目が止まった。

《阿佐ヶ谷文士のひとりで、骨董品の蒐集家として知られる青柳瑞穂(仏文学者、美術評論家 1899〜1971)は、井伏が荻窪に住み始めて以来、何度も喧嘩し何度も仲直りをする間柄だった。》(p53)

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「青柳瑞穂と骨董」は青柳の追悼文として『文藝春秋』一九七二年二月号に発表されたもの。『文士の風貌』(福武書店、一九九一年)に収められている。青柳の名品掘出し話が続くなかにこんなくだりがある。

《骨董のことで冗談口をきくと青柳くんは腹を立てた。ことに堀出しものをしたときなど、僕などがそれを見に行つて混ぜ返しをいふと忽ち腹を立てた。こちらも口に氣をつけなくては拙い。誰かが、「堀出しものをしたさうだが、見せてくれ」といふと、堀出しものとは失禮ないひ草だといつて決して見せようとしなかった。》(p316)

堀出しもの

しかし、掘出しの後は、当然ながら、機嫌がいい。

《青柳君はその壺を手に入れた顛末を詳しく話し、[では、酒にしようか]といふことになると、「記念に、君にこれをやらう」と云つて机の上にあつた石斧を私にくれた。こんなのは青柳君の癖で、堀出しものをしたとき僕が見に行くと、たいてい座右にあるものを何か一つ僕にくれた。佛畫を堀出したときには、繪瀬戸の火皿をくれた。備前の種壺を堀出したときには須惠の高杯[たかつき]をくれ、佛畫のときにはぐい呑みをくれた。他にもまだ何かとくれた。その際、僕は「御意の變わらぬうちに」と新聞紙か何かでくるんで膝のわきに寄せて置くのであつた。須惠の高杯と石斧は、今でも僕の戸棚のなかに藏つてゐる。》(p327)

このへんの品物が図録に出ていないかと思ったが、残念ながら見当たらないようである。また、井伏が戦地へ出かけるときには小さな仏像をくれた。

《僕が徴用されてマレー半島へ行くときには、青柳君が小さな佛像を持つて來てくれた。高さ一寸ほどの金銅の菩薩像で、鎌倉時代の武将が出陣の際に兜の頂邊に納めてゐたお守である。「鎌倉時代には、こんなのをたくさん鋳造してゐたらしい。江戸時代にも、この模造品を造る人がゐたさうだ」と青柳君は云つた。》(p330)

小生もこの兜仏を一点所蔵している。高さ四センチほどの千手観音である。これは確かな古美術商から手に入れたので大丈夫だとは思う。

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# by sumus2018 | 2023-12-04 20:20 | コレクション | Comments(0)